交響曲 ニ短調 / セザール・オーギュスト・フランク(1822〜1890 フランス)
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フランクは、ベルギー生まれのフランスの作曲家、オルガン奏者です。わずか11歳でベルギー各地でピアノのリサイタルを開くなど、子供のころから音楽の才に恵まれ、生地のリエージュで学んだ後はパリ音楽院に在籍し、オルガンと作曲の勉強を重ねました。敬虔なキリスト教の信者として、36歳から亡くなるまでの30年以上にわたってパリのサン・クロティルド教会のオルガン奏者を務めたことでも知られています。50歳でパリ音楽院のオルガン科教授に就任し、作曲の指導では、ダンディ、ショーソン、デュカスなど、その後のフランス音楽をリードする数々の作曲家を育てました。
彼は、バッハとベートーベンを心から尊敬し、その音楽を継承した上で、交響曲やソナタといった古典的な形式に、ロマン主義の精神を吹き込んだ作曲家です。神秘的で思索的な主題と、劇的で感情的な主題を交互に用い、分厚いオルガンの響きをオーケストラの響きでも目指そうとしました。また、作曲全体を通じて変形された一つの主題を繰り返して用いる「循環形式」を採用した代表的存在でもあります。華麗で技巧的な音楽がもてはやされていた時代にあって、信仰心に満ちた堅実で地味なその暮らしぶりと相まって、生前は不当な評価をされていましたが、後のフランス音楽に果たした足跡の大きさから、今ではフランスで最も偉大な作曲家として讃えられるに至りました。
本日演奏する交響曲二短調は、彼の残した唯一の交響曲で、1886年から88年にかけて作曲され、初演を聴いたフランクが、聴衆の今ひとつの反応を全く気にせず、帰宅してから「私の思っていたとおりに響いたよ!」と妻に嬉しげに話したというエピソードは、彼の生き方や人柄を示しています。この1年ほどの後、交通事故がもとで彼は亡くなってしまいますが、演奏が重なるたびに評価が高まり、その後のフランスの交響作品のモデルとして、多くの作曲家に与えた影響は絶大なものがあるのです。
●第1楽章 ゆっくりと 余り速くなく
重厚な第1主題は形と速度、そして調性を変えつつ何度も示されます。対照的な第2主題は最終楽章で再度示され、人生への讃歌を示すかのようです。
●第2楽章 やや軽快に
ハープとイングリッシュホルンが奏でる音楽の、祈りに満ちた響き。信仰という言葉を持たない遠い異国の私たちの心にも、この音楽は深く染み通ると信じます。中間部のスケルツォのメロディーも魅力的です。
●第3楽章 余り速くなく
それまでの憂いに満ちた響きから一転、はじけるようなニ長調の全合奏が始まり、低音楽器の奏でる「歓喜の主題」が終始楽章をリードします。途中で第2・第1楽章のテーマを回顧するところは、ベートーベンの「第9」のようで、もっと良い響きを、もっと喜びを、と探し求めるかのようです。最後はすべての楽器が一つになって輝かし讃歌を歌い、曲は終わります。
バレエ組曲「眠れる森の美女 作品66a / ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893 ロシア)
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− あらすじ
フロレスタン24世に初めて生まれたオーロラと名付けられた姫の命名式の日、招待されなかった悪の妖精カラボスが現れ、「姫は16歳の誕生日に紡錘で指を刺し、それがもとで死ぬだろう」と呪詛を吐く。しかし、そこへ善の妖精リラが登場、カラボスを追い払い、「姫は死の代わりに100年の眠りにつき、1人の王子の接吻によって目覚めるだろう」とあらためて予言する。それから16年、姫は誕生日の宴で、いつの間にか現れた老婆(正体はカラボス)にもらった紡錘で指を刺してしまい倒れるが、リラの精が現れ城もろとも魔法によって眠らせてしまう。そして100年後、リラの精の予言どおり姫と王子は結ばれ、めでたく幕を閉じる。
本日お届けするのは、全曲から演奏会用に作曲者自身が5曲選んで組曲にしたものです。
●第1曲目 序奏とリラの精
冒頭は邪悪な妖精カラボスを表しています。その後、美しいリラの精の主題をイングリッシュホルンが奏でます。カラボスの方は激しい音楽ですが、リラはため息が出るほど哀愁に満ちた旋律です。
●第2曲目 パ・ダクシオンよりバラのアダージョ
第1幕、16歳の誕生日の宴でオーロラ姫が4人の求婚者から受け取ったバラを手に踊るシーンで使われる音楽です。冒頭のハープのカデンツァがステキですよ。そしてその後に続くヴァイオリンやチェロのロマンティックな調べをたっぷりと味わってください。
●第3曲目 長靴をはいた猫
第3幕、姫と王子の結婚の場で、長靴をはいた猫、赤ずきん、シンデレラ姫、親指小僧、青い鳥などの童話の主人公が達がつぎつぎに踊りを披露します。長靴をはいた猫はオーボエとファゴットによって猫の鳴き声をユーモラスに表現しています。
●第4曲目 パノラマ
第2幕第1場のラストシーン、リラの精が王子を姫が眠る城へ案内する情景を表しています。真珠貝の舟に乗った王子が鏡のように静かな水面を進んでいく幻想的な場面を想像して聴いてください。
●第5曲 ワルツ
第1幕、姫の誕生日に村娘たちが花輪を手に踊ります。絢爛豪華なシンフォニック的規模を備えたワルツです。ああ、チャイコフスキーだなって思わせる曲です。
序曲「フィンガルの洞窟」 作品26 / フィリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847 ドイツ)
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フィンガルの洞窟はスコットランドの北西沖にあるヘブリディース諸島のスタッファ島にある洞窟で、その地方の伝説上の国王フィンガルの名前をとって名付けられました。メンデルスゾーンは、1829年8月、20歳の時にスコットランドを旅行してこの洞窟に出会い、そのときの印象をもとにこの曲を作曲しました。約10分の曲ですが、ワーグナーがこの曲を聴いてメンデルスゾーンのことを「第一流の風景画家」と賞賛したように、大西洋の広大な海の様子、そしてその荒波が洞窟に流れ込む様子、潮が徐々に満ちてくる様子などが見事に音の絵の具で表現されています。初演は1832年5月14日、ロンドンでメンデルスゾーン自身の指揮で行われました。
本日私たちが描く洞窟の風景は皆さんにどのように伝わるでしょうか。加古川フィルのメンバーのほとんどは瀬戸内海の静かな海しか知りませんが、メンデルスゾーンが見た風景、感じた思いをおもいきり想像しながら演奏します。どうぞお楽しみください。
ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37 / ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827 ドイツ)
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自作の協奏曲で自ら独奏ピアノを弾きつつ、指揮も兼ねながら公開演奏を繰り返して収入を得ていた20代のベートーヴェンは、1作ごとにその作風を充実したものとしてゆきました。その頂点は有名な第5番「皇帝」ですが、本日演奏する作品37は、それまでの比較的規模の小さかった伴奏や技巧的にもまだまだ平易な第1・2番に比べると、オーケストラはまるで交響曲のような堂々とした響きに変わっており、独奏パートもその充実さを増した中で、雄大な音楽が展開されます。彼の作品全体から見ても、大きく成長するポイントとなった意味で、重要な作品なのです。当時この曲を出版したホフマイスター社に宛てて、「今までの2曲よりももっとよいものを、次の演奏旅行に準備しています」と書き送った手紙が残されており、自分でも納得のゆく作品であったことがしのばれます。
初演は1803年4月5日、アン・デア・ウィーン劇場で、ベートーヴェン自身の独奏と指揮で行われましたが、独奏部分の譜面はほとんど白紙の状態で、その場の即興で弾いたと言われています。
●第1楽章 生き生きと、速く。ハ短調 2分の2拍子
いかにもベートーヴェンらしい躍動感に満ちた第1主題と、のびのびした第2主題が交互に現れ、独奏が出るまでのオーケストラは雄大な響きを100小節近く演奏します。満を持して登場する独奏も華やかさに満ちており、技巧的です。楽章の終わりのカデンツァは様々なピアニストが楽譜を残していますが、ベートーヴェン自身が残したものが最も有名で、63小節もある長大なものです。
●第2楽章 ゆったりと。ホ短調 8分の3拍子
独奏ピアノがゆっくりと引き始める音楽は、まるで何かを祈るかのようです。伴奏の弦楽器群は最後まで弱音器を付けてピアノを支えますが、中間部では木管楽器の対話をピアノのアルペジオが逆に支え、オーケストラと対話を交わします。この楽章でも短いカデンツァが最後に置かれています。
●第3楽章 ロンド 速く。ハ短調 4分の2拍子
リズミカルで、弾むようなメロディは彼の有名ないくつかのピアノソナタを思い出させます。伴奏も充実した音楽が続き、中間部で低音楽器から主題を追いかけて行くところでは変奏曲の名手であったベートーヴェンの作曲技法の冴えを聴くことが出来ます。短いカデンツァの後、一旦速度を落としますが、突然速度を上げて華やかに終わります。
加古川出身のすばらしいピアニスト、津田さんとの出会いは、私達加古川フィルのメンバーにとって今年の最も大きな出来事の一つでした。この町での音楽の歩みに、また一つ足跡を残すこととなる演奏を、どうかお楽しみ下さい。
歌劇「イーゴリ公」序曲(グラズノフ編曲) / アレクサンドル・ボロディン(1833〜1887 ロシア)
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19世紀末のロシアの音楽を支えた「ロシア5人組」が、本職をそれぞれ持っていた人たちであったことは有名です。プロの音楽科であったバラキレフ以外、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、キュイの3人はみな軍人で、今宵演奏するボロディンも、医科大学に勤めて薬学を研究する化学者でした。私には、あたかも幕末から明治の日本で多くの若者が出会い、新しい時代を切り開いていった様子のようにも思え、ロシアの激動期に出会った趣味を同じくする若者達が、伝統の響きを生かした上で全く違った音楽を作り出していったことは、奇跡にも思えます。残された作品がそれぞれあまり多くないのは、こうした事情があったからですが、この「イーゴリ公」も、20年近くかけたにも関わらず結局完成せず、54歳で心臓発作の為に急死したボロディンの残したスケッチをもとに、コルサコフと、その弟子のグラズノフの2人が完成させた歌劇です。
物語は12世紀キエフ公国時代のイーゴリ公が、南方の遊牧民族ポロヴェツ人と戦う話で、序曲は、楽譜が残されていなかった為に、生前にボロディンがピアノで弾いたものを記憶していたグラズノフが劇中のアリアを元にして作曲したものです。序曲の静かな響きの後、ポロヴェツ人のファンファーレが鳴り響き、勇壮な音楽が始まります。バイオリンが演奏する駆け下りるような第1主題は第4幕のイーゴリ公と妻の2重奏、クラリネットソロの第2主題は第3幕の3重奏、ホルンソロの第3主題は第2幕のイーゴリのアリアにそれぞれ基づいていますが、序曲の大半はグラズノフの創作である事が、今日の研究で明らかになっています。静と動の対比が印象的な勇壮な音楽は見事です。
交響曲第1番 ト短調 作品13 「冬の日の幻想」 / ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893 ロシア)
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ペテルブルグの音楽学校を卒業したばかりのチャイコフスキーは、1866年、26歳の時に、新設されたばかりのモスクワ音楽院の教授に迎えられます。新しい生活に意欲的になった彼は初めての交響曲に着手し、音楽学校の恩師であったピアニストのアントン・ルービンシュタインらの厳しい批評やアドバイスを受けて、この年の冬に完成させました。いくつかの楽章の試験的な演奏を経て、1868年2月16日、ロシア音楽協会モスクワ支部の演奏会で、ルービンシュタインの指揮のもとに全曲が初演されました。弟のアナトーリ宛の手紙には、この時の様子について、「新しい僕の交響曲は大変な評判だった。特に第2楽章が喜ばれた」という言葉を残しています。この第1交響曲の成功は、作曲家としてのチャイコフスキーに、大きな自信と次作以降への強い意欲をもたらしました。ボロディンたち5人組が切り開いたロシア音楽の世界をさらに発展させてゆく歩みが始まるのです。
●第1楽章「冬の日の旅の夢想」速く、静かに。ト短調 4分の2拍子
果てしなく広がる雪と氷の平原を思わせるかのような第1主題と、旅先の宿でやっと暖かな暖炉の前で一息つき、しばし夢見るかのような第2主題とが交錯して進みます。荒れ狂う吹雪を連想させるような部分では、管楽器の音色の使い方や弦楽器のユニゾン(全奏)の音型などに、後の作品をすでに先取りしたような響きが聞かれます。この交響曲は、全体が楽章ごとに一つの交響詩のような作風なのですが、特に第1・2楽章に付けた表題は、作曲者の思いの強さを示しているように思えます。
●第2楽章「陰鬱な国、霧深き国」ゆっくりと、急がず、歌うように。変ホ長調 4分の4拍子
弱音器をつけた弦楽器の響きが深い霧の世界を作り、その中で胸にしみ入るような音楽が続きます。オーボエの奏でる第1主題、フルートとビオラの奏でる第2主題とも、ロシア的な味わいに満ちており、楽章の最後でホルンが全員で第1主題の変奏を奏でるところは特に感動的です。
●第3楽章 スケルツォ 速く、快活に、おどけて。ハ短調 8分の3拍子
この曲の前年に作曲したピアノソナタの主題を用いており、やや陰りのある舞曲風の音楽が始まります。中間部でチェロが歌い始めるやわらかな音楽も印象的です。楽章の最後のティンパニー、ビオラ、チェロの独奏は、楽器法の独創性を模索していた若いチャイコフスキーの姿を思わせます。
●第4楽章 終曲 ゆっくりと、哀しげに。ト短調 4分の4拍子。速く、堂々と。ト短調 2分の2拍子
低音楽器がゆっくり奏で始める民謡風の歌は、当時の学生運動で歌われていた開放を願う歌「小さな花よ」で、やがてこれが全合奏となって速度を増し、堂々とした音楽へと発展します。途中で聞こえるロシア民謡「カリンカ」のような第2主題も、第1主題の変奏です。楽器の増加と共に速度を増す中で私達を熱狂に誘い込んでゆく音楽作りは実に魅力的で、最後は同じ音型を何度も繰り返しつつ、ロシアの民衆のたくましさや粘り強さを示すかのように力強く終わります。
この曲は、作曲当時の若さと試行錯誤ゆえの荒削りな部分も多く、加古川フィルで演奏してきた後期の4〜6番の3大交響曲と比べてしまうこともありましたが、合奏を重ねるうちに、私達はみな次第にその新鮮で若木のような、チャイコフスキーならではの個性ある音楽に、ぐいぐいと惹きつけられてゆきました。自然の猛威や内外の様々な出来事に打ちひしがれてきたこの一年を思いつつ、冬の夜のひと時に、祈りと希望に満ちた心に残る響きをお届けできればと思います。
チェロ協奏曲 ホ短調 作品85 / エドワード・エルガー(1857〜1934 イギリス)
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数年前に、ジャクリーヌ・デュ・プレというチェリストを主人公にしたドキュメンタリー映画を見ました。これは、彼女の生い立ちと、夫バレンボイムとの出会い、病気になってからの生き様などをドラマチックに描いたものです。その映画のバックに流れていたのがこのエルガーのチェロ協奏曲です。僕はこの曲を聞くたびに、デュ・プレの悲劇と音楽に対する情熱を思わざるを得ません。演奏できなくなったデュ・プレがメロディを口ずさみながら、それでもこの曲の演奏法を伝えようとするシーンが未だに忘れられない。もちろんその後、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」という映画を見た時には、少なからずショックを受けました。けれどもこの曲の、内に向かうような悲愴感漂う熱情は、デュ・プレの真の姿にこそふさわしいものであったのかもしれないと思い直すことにしたのです。
今日は長谷川陽子さんを迎えての演奏です。長谷川さんといえば、彼女が高校二年生の時、あるコンクールで演奏したラロのチェロ・コンチェルトがFM放送で流れたことがあります。僕はそれを聞いたときの感動を今でも覚えています。技巧の難しさを感じさせない堂々とした演奏の中に、微妙なルバートにこめられた細やかな感情の動き。まだ若い女の子にどうしてこんな演奏ができるのか。その時から僕の心には長谷川陽子さんが住み着いているのです。長谷川さんもデュ・プレも幼いときからチェロに惹かれチェロとともに生きてきた点は似ています。そして、そのチェロからほとばしる情熱も。だから今日ほど演奏会のやってくる日をワクワクした気持ちで待ち望んでいたことはありません。
個人的な話はいい加減にしろ、という声が聞こえてきそうなのでそろそろ本題。
エルガーという人(1857〜1934)はほとんど独学で作曲を学んだ人ですが、大作曲家に恵まれなかったイギリスが準男爵を授けるほどの大家になった人です。そのエルガーの作曲期の最盛期(1898「謎変奏曲」〜1919「チェロ協奏曲」)の最後に書かれた大作がこの曲です。この曲はエルガー自身が指揮をして、フェリックス・サルモンドという人の独奏で初演されました。彼自身「本格的な大作で、よくできたし、いきいきしている」と述べるほど、簡素な中にも独特のロマンチシズムを湛えた名曲です。翌年には最愛の妻アリスを失い、以後大きな曲は作曲しなくなりました。
●第一楽章 モデラート ホ短調
冒頭の独奏チェロの荘重な響き。一瞬にして皆様の心を捉えること間違いなしです。その後ヴィオラが第一主題を甘美な中にも憂いをこめて演奏します。それを独奏チェロが受けついでいくわけですが、このあたりのオーケストラとの駆け引きを楽しんでください。
●第二楽章 アレグロ・モルト ト長調
第一楽章から休みなしで演奏されます。独奏チェロは十六分音符を延々と連続します。細かい動きの中にもさまざまな展開があります。長谷川さんがどのように仕掛けてくるか、ドキドキです。
●第三楽章 アダージョ 変ロ長調
非常にゆったりと、そして厳かな優美さと情熱を感じさせる楽章です。わずか60小節ほどの楽譜ですが、独奏チェロとオーケストラが美しい歌による対話によってロマンティックな情景を作り上げていきます。皆様にはその対話の中身がどのように聞こえるでしょうか。
●第四楽章 アレグロ ホ短調
四楽章中もっとも変化に富み、独奏チェロの名人芸を楽しめる楽章です。力強い第一主題とそれとは対照的な第二主題が繰り返された後、第三楽章が再現され、さらに第一楽章の冒頭が堂々と演奏されます。そして再びアレグロ・モルトで華々しく終わります。独奏チェロの技巧が特に目立つのは、第二主題が変奏されていく中でアルベジオで演奏する部分です。その醍醐味を目の前で存分に味わってください。